事務所案内

会社概要

会社名 有限会社マチノ不動産設計
所在地 〒174-0043 東京都板橋区坂下1丁目1番12-201号 タナカビル
電話/FAX TEL 03-5916-0577/FAX 03-5916-0588
営業時間 9:30~18:00 定休日;毎週水曜・第3日曜日
代表者 町井 孝明
免許番号 東京都知事免許(5)第77761号
設立 平成10年7月設立・平成11年11月創業
資本金 1,000万円
目的一部 ・不動産の売買全般、賃貸、及びその仲介
・リフォーム、ハウスクリーニング
・損害保険の代理業

・開業24年・同経歴38年
・土日も営業(第3日曜定休)
・保証人不要の相談可能
・法人の契約取扱い可能
・引越会社紹介
・リフォーム・清掃・鍵交換紹介
・住み替え相談

アクセス

都営三田線「志村三丁目駅」徒歩7分 540㍍ ; または「志村坂上駅」A3/A4出口から徒歩7分 550㍍ ; または【バス】志村坂下バス停  停歩2分

代表者プロフィール

出身地:栃木県那須烏山市

最終学歴:足利大学(旧足利工業大学) 工学部卒業

代表者のエピソードと主な経歴

四人兄弟姉妹で年長の私は18歳で高校卒業後、家計の都合もあり通学のために親類から紹介された足利市の医院 兼お寺に三年間下宿し、病気で10年間寝たきり医師の世話のお手伝いしながら通学した。仕事は毎朝晩の食事を母屋から運び、付き添いながら食事の介助と下げ膳・食器洗い。夜中に先生からの室内ブザーが鳴ると尿瓶をトイレに流し、水洗いして戻す等が日課でした。(報酬は下宿代、食事代無料・毎月1万円の小遣いを頂いた。) 当時の近隣の最も安いアパート賃料の相場は、和室4.5畳で共同トイレ・共同キッチン・風呂無しで月額7,000円~10,000円程でした。

この頃の私が最も印象に残ったキーワードは、
「マンション」の単語です。

先生の親類の娘さんが結婚するにあたり夫妻でマンションを購入したことを先生の妹さんなど親類から聞いた話です。鉄筋コンクリート製の頑強でエレベーターという物が付いている。模様の入ったピンク色の壁がある。ゴジラのように丈が大きく室内から遠くを見渡すことが出来る。頑丈で設備も整ったマンションはすごく良いらしいと話題になりました。

私は今まで見たことも無く、聞いたこともない単語なので大学生の私の頭のなかは マンション?? 何それマンのション?  ワードでは何のことか不明です。
ゴジラのように大きいとは何物なのか。その頃はタイプライターが使用され後にワープロが商品化された時代でした。現在の様にパソコンやインターネットも普及してないので、知る術も無くお伽話のようなイメージでマンションはそこでしばらく終了していました。
ご承知の通り1962年の建物の区分所有者に関する法律が出来ると、まもなく第一次マンションブームになりました。

私が24才頃のジャンプした写真が出てきました。短距離走は得意で私の中学時代は、一学年だけで 8クラスあり、同学年の生徒数は 343名在籍していました。三年生の時に陸上400㍍リレーの県大会に出場し、チームのアンカーで走った思い出があります。ちなみに私の中学三年間の部活は、友人に誘われて入った柔道部でした。

(撮影;小中学校同期生の 村上誠 氏)

経歴

  • 卒業後地元の通信教育の会社で教材作成の業務を行いました
  • 埼玉県浦和市の東京ガス管工事会社に勤務、本支管工事監督–宅内ガス配管設計(昭和 52年入社)
  • 港区青山のガス工事会社勤務 、供給管工事(昭和 58年入社)
  • 昭和60年2月、東京都荒川区のJR日暮里駅至近の不動産会社入社(取締役4名含む社員20名~30名位)専任の宅地建物取引士就任、建売住宅の現地販売営業(入社1年後にはバブル景気に突入!) 契約毎にほぼ全員の重要事項説明書作成、物件調査、公法・権利関係調査、契約業務など多くの経験をさせて頂きました。1990年3月以降、当時の大蔵省(現財務省)の行政指導である「総量規制」の影響が有り、当法人は解散する
  • 平成4年8月板橋区の不動産会社に入社、賃貸仲介営業
  • 平成11年11月、板橋区志村三丁目にて有限会社町の不動産設立、取締役就任
  • 有限会社町の不動産法人移転(板橋区蓮根二丁目)
  • 有限会社町の不動産法人移転(板橋区坂下二丁目)
  • 有限会社町の不動産から社名変更;有限会社マチノ不動産設計 (令和3年5月4日)
  • 現在の所在地に法人移転(令和3年8月12日)
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